台高縦走 ―明神平から尾鷲までー  (2008.04

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霧の明神平

赤倉山あたり

木屋池

縦走路

大黒尾根縦走路

ミツバツツジ

白鬚岳を望む

大峰・大普賢岳

マンサクの花

バイカオウレン

ブナ平

タムシバの花

       
 引水迫  御座ー  笹ブッシュの名残  シカに食われたツゲ
     
 東の川 有明の月  大峰山脈遠望  橡山林道から堂倉山を見る


 魁猿が大学時代、ワンゲルで台高山脈を縦走したことは聞いていた。笹のブッシュで大変だったらしい。小生もこの辺りにちょっと入ってみて笹のブッシュに辟易としたことがあって、単独で縦走が出来るとは思っても見なかった。因みに昭和40年代のガイドブックによると5泊6日かかるとされている。

 ところが近年状況が変わってきた。十数年前より、台高山脈から笹が消滅したのである。原因は鹿が食べてしまったとか、いや酸性雨だろうとか云われているらしいが、本当のところは分っていないのだろう。

 インターネットで記録を調べてみると、だいたい3泊で通り抜けている。笹のブッシュのことなどどこにも書いていない。これは行ける。魁猿にメールすると、「迷って行方不明になるなよ」と返事が返ってきた。よほどひどい記憶があるのだろう。

 

4/19(土)

 榛原からのバスが大又に着いたのは11時頃、終点で下車したのは私だけ。笹野神社の枝垂れ桜が満開である。空は深い雲で覆われ、いつ降り出してもおかしくない様子である。風が冷たい。

 運転手と少し雑談して出発。車の通行も皆無であり、便乗は不可能。1時間少し歩いて、登山口駐車場。陰気な雰囲気の中、登りにかかる。

 2時半、明神平直下の水場。ここで寒さに震えながら弁当。万一、今夜の泊まりで水がなかったらと考え、水を3リットル汲む。ザックが肩に食い込む。

 明神岳を越え桧塚への道を分けると、いよいよ未知の世界へと入ってゆく。ガスで見通しは全く効かない。笹ヶ峰手前の広いピークで少しウロウロする。GPSの方位が正確でない。校正する。後はなだらかな稜線を歩いて、千石山南のキャンプ予定地に5時過ぎ到着。

 稜線のすぐ傍に水量豊富な谷がある。担いだ3リットルの水は寒いので飲まず、全くの無駄だった。風があり霧が流れる。ハンモックテントを張り、夕食をすませて早々にテントにもぐり込む。

 夜中、背中、足が冷たくて、目を覚ます。風は全く止んで、静寂の世界だ。

 

/20(日)

 4時、起床。5時半出発。

 霧は深いが、天候は回復してきているようだ。赤ー山の次のピーク、千里峰で何の疑いもなく、GPSチェックもせずテープの標識に従って下り出す。10分ほど下って、なんか変だとGPSをチェックするとあらかじめ入力しているコースと全く違った方角へ下っていた。しまったバリエーションルートに入っている。

 池木屋山手前の木屋池辺りで青空となり、日が当たり急に暖かくなる。ブナの林の中の池は数日来の雨のためか水量豊富で気持ちの良いところである。池木屋山頂上で登山者と会う。しばらく雑談。40年ほど前、単独行で宮の谷から登って北俣川に下ったときはひどい笹のブッシュで踏み跡もはっきりしなかったが、今は簡単に登れるようだ。

 昼前、弥次平峰着。少しずつ、ガイドマップのコースタイムから遅れてきている。やはり65歳という年か。

 ここから、馬の鞍嶺までは岩稜地帯となり、また数え切れないくらいの小さな上り下りが続く。縦走の核心部である。桧、高野槇の間に石楠花が密生しているが、まだ蕾は堅い。コバノミツバツツジはつぼみが大分ふくらんで、もう数日で開花か。下の方にはタムシバ(コブシ?)の白い花が点々と開いている。

 3時間かかってようやく馬の鞍嶺。ここは、ガイドマップのコースタイムではどうやっても歩けない。この調子では、予定の地池越まで着けるか心配になる。

 ところが、ここからは尾根が広くなりなだらかな下りで、あっという間に地池越(実は一つ手前のコルだった)に到着した。ここの水場は数十メートル下った所の谷の流れ出しだが、乾期にはもう少し下らなければならないだろう。

 

/21(月)

 今日も快晴。

 出発早々道を間違う。小さなピークを登ると尾根伝いにまっすぐに踏み跡が付いている。これに従って歩いていると、GPSのポイントとずれてきている。正しいコースは尾根から直角に急な斜面を下るのだ。これはガイドマップ(5万分の1)からは読み取れない。ピークを下ったところが、正しい地池越だった。

 カコウキ越で満開のマンサクの花を見る。黄色が強く見事な花である。やがて、山の神の頭、ここも昔、一人で三の公の沢を詰めて父ヶ谷に下ったことがある。尾根はひどい笹のブッシュで見通しは全く利かなかった。おまけに背中をヒルに吸われてシャツが真っ赤になったっけ。この辺りでバイカオウレン(?)の群落を見る。

 尾根は小さなピークの上り下りが続いて、全くペースが上がらない。疲れも出てきているのかな。

 父ヶ谷の頭手前、p1082で素晴らしい場所にでる。ブナ平というらしい。ブナの点在する広い尾根、下の方で水音がする。ここで2日ほどノンビリしたい。そんな場所だ。

 また、道を間違えた。振子の辻手前の杉又高に登ってしまった。コースは少し上ったところから尾根を右に外れるのだが、ピークを越えるものと思いこんでいた。GPSがあればいいかと、ガイドマップだけしか持ってこなかったツケだ。タイムロスをしたと云っても230分のものだが、悔しいものである。すぐ、振子辻である。

 やがて、引水迫。尾根のすぐ傍を谷が流れている。少し早いが今日はここで泊まり。先を急いでも仕方がない。

 

4/22(火)晴

 出発して、100mほど急な斜面を登る。どうも正式のルートではないところを登っているようだが、大した違いはない。やがて、御座ーの岩場だ。山脈西側の展望が素晴らしい。添谷山。この辺りも素晴らしいブナ林だ。バイケイソウの緑が鮮やかであるが、それしか緑はない。この辺りも鹿の食害が及んでいるのかな?

 大台辻への下りで笹のブッシュの名残に出会う。ほとんど枯れかかっている。ここも来年は笹が消滅しているだろう。

 大台辻。ヤレヤレ。筏場道の下りは相変わらず通行止めだ。ドライブウェイと出会う川上辻まで筏場道を辿る。山腹を縫ってつけられた道は石垣を積み上げた幅1メートルぐらいはある立派な山道だ。牛馬も通行可能だ。古川嵩が大台ヶ原に教会を開いたとき、吉野の山林王・土倉庄三郎が作った道でドライブウェイが開かれる前の主要道だった。しかし現在は荒廃するにまかせられ、所々崩落個所がある。トラロープがかけられてはいるものの、滑落すれば命はない。ここが今回の山行で一番怖かった。

 11時、やっと山上駐車場に到着。暖かい昼飯にありつける。ところが、どの店も閉まっていて、山上には人影がない。村営の店の中で人影が動いているので入ってみると、ドライブウェイの開通がその日の3時だとのこと。何とかうどんだけは食べさせてもらう。 どこへ下るにしても歩くしかないので、予定どおり尾鷲道をとる。40数年前、一度下ったことがあるが、そのときは快適な道だったと記憶している。荒廃していると聞いているので、どれだけ時間がかかるか。

 尾鷲辻から、尾鷲道にはいると倒木、立ち枯れの樹木が多い。下生えはシキミだけ。オブジェ風に刈り込まれたツゲの灌木が目に入る。一瞬人が刈ったのかと思ったが、そんなはずはない。シカが枝に邪魔されずに食べられる部分を食べ尽くしたのだ。ツゲは辛うじて命を保っている。シカの食害がひどいのが一目瞭然である。私が大台に足を踏み入れ始めたのは昭和30年代後半からであるが、その頃にはシカを見かけることはめったになかった。ところが今は奈良公園の続きかと思うぐらい群れている。人が手を加えてシカの数を調整することもやむを得ないのではないだろうか。

 古い道の名残はまだ残っていて、やはり筏場道と同様に立派な道だったようだ。この道も尾鷲の林業家・土井與八郎の尽力で出来たようだ。堂倉山から下り出すと、所々崩壊個所があるがへつるにしても、捲くにしても大した苦労はない。やがて、伐採跡の大崩落が目に入る。この辺りの自然は荒廃しつつあると悲しくなる。

 コブシ嶺を下った辺りの枯れ草の原で泊まることにする。水場はないが、充分に背負ってきている。

 

4/23(水)晴

 今日は尾鷲までなのでゆっくりする。

 木組峠を越え、ブラブラと平らな古道を歩きながら下る。やがて、又口への分岐、古和谷への分岐を過ぎて橡山林道、地蔵峠へと出る。前の時は古和谷への道だったが、今は廃道だろう。

 ブラブラの林道歩きで水無峠まできたとき、渓流釣り師の車に拾われた。3時間ぐらいは助かった。

 今回の山行ではヒルの被害はなかったが、尾鷲の温泉に入っているとき、ヘソの上の柔らかいところにダニが一匹しっかりと頭をつっこんでいるのに気がついた。